母は偉大なり

皆様こんにちは

LUKAでございます

 

 

私が幼い頃

我が家は決して裕福な家庭ではなかった

 

と言うか

かなり貧乏な家庭だった

 

 

私が小学校3年生の途中まで住んでいた家には

お風呂が無く

近所の銭湯へ数日置きに入りに行く

普段は台所でお湯を沸かして

そのお湯で頭や身体を洗うような暮らしぶり

 

夏の暑い時期には

二層式洗濯機に水を溜めて

私はその洗濯機の中に入れられていた

 

それがまた気持ち良いんだなぁー!

 

でも自力では出られない

 

今になって思えば

暑がる私の為もあったかも知れないけれど

ちょろちょろと転げ回って家事の邪魔をする私を

大人しくさせる母の算段でもあった気がする

 

 

両親と兄と私の4人暮らしだったけれど

部屋は台所の他に2つしか無く

 

父は奥の部屋で

昼間からウィスキーを飲みながら

アダルトビデオなるものを見てしまうような人で

その間子供は立ち入り禁止!

 

もう一つの部屋はタンスや衣類

ミシンの置き場所となっていて

『自分の部屋』と呼べるような場所はどこにも無かった

 

唯一私にとって心休まる場所は

奥の部屋にある押し入れ

 

押し入れの下の空間に布団が収納されているんだけれど

そこに懐中電灯を持ち込んで

その中でひっそりと絵を描いている間だけが

心休まる時間だった

 

 

父は酒乱で20時以降に人格が変わったように大暴れ

 

母は夜も家に居ない

 

兄は友達と遊びに行って帰って来ない

 

 

家に父と二人きりの時間が長く

幼い頃の私は

毎日不条理な暴力を振るわれ

憎しみでいっぱいだった

 

正直な話

酒乱で暴れる上にギャンブル大好き

何度も借金まで作っちゃう父に

母だって相当に頭を悩まされた事だろう

 

 

だけど

そんな中でも母は決して

子育てに手抜きをするような人ではなかった

 

自分も仕事で忙しく

家に居る時間が短いにも関わらず

 

私を一人前の大人にする為

ありとあらゆる事を教えてくれた

 

 

そう

 

今ではアホみたいな言動ばかりの母だけれど

昔は非常に厳しく

『ストイック』と呼ぶにふさわしい人格者だったのだ

 

 

その中でも

私専用の包丁を私に与え

料理を自分でやっても怒らなかったのは

今の私の糧になっているだろう

 

掃除や洗濯もやらせ

とにもかくにもありとあらゆる事を私に自分でやらせてくれた

 

『手取り足取り教える』

という事はあまりしなかったけれど

『見て真似をさせる』

『自分なりに工夫をさせる』という教え方が多かったのは

後の私の働き方にも大きく影響を与えた気がする

 

 

怪我を伴うような失敗や

やってはいけないと言われた事をやらかさない限り

早々怒られる事は無かったと思う

 

 

ロウソクを床一面にこぼし

ニスがけをしたかのように床をつるっつるにした時や

 

ろくろを手作りして

粘土を床や壁一面に撒き散らした時

 

紙粘土をオーブンで焼いて発火させた時

 

フライパンから目を離して火柱が上がり

天井が若干焦げて

フライパンから長年の焦げ付きがこそげ落ちて

つるっつるになった時

 

こういう場合にはしこたま怒られたけれど

それ以外に家の中でやって怒られた事は

あまり無いように思える

 

 

要するに私が怒られたのは

私があまりにも馬鹿だったから

としか言いようがない

 

「これやってみたい!」

と思った事は何でもすぐにやってしまい

その結果失敗する事が多かったのだ

 

 

そしてそんな母が

絶対に許さない事があった

 

それは

『食べ残し』である

 

当時ちゃぶ台で食事をしていたんだけれど

配置はこんな具合だった

 

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私の後ろには大きな茶箪笥があって

茶箪笥とちゃぶ台の間に挟まって

ご飯を食べている状態

 

 

でまぁ当時私は

好き嫌いがとてつもなく激しかった

 

高校生になってアルバイトを始め

自分で色々な物を食べ歩きするようになり

偏食はかなり改善されたけれど

それ以前の偏食っぷりはかなりの物

 

食べられる物より食べられない物の方が

圧倒的に多かった

 

魚介類・野菜類・果物類

これらのほぼ全般がまるで駄目だった

 

自分でも簡単に作って食べられるじゃがバターと

近所の商店で買えるパンに砂糖を付けただけの物

これらだけが好きです!

 

 

こうなってくると食べられる物なんて

本当に限られている

 

 

・・・で

食べ残しをすると

 

 

ちゃぶ台返しが飛んでくるんですよ

 

 

私の正面に母が座っていて

「食べきるまでそこから動くんじゃない!」

と言われて

一時間も座ったまま動けない

なんて事はざらだった

 

 

そして最終的には

「だったら食べなくて良い!!!」

という怒鳴りと共に

ちゃぶ台が私に向かって飛んでくる

 

 

逃げ場ねぇんだよ・・・!!!

 

 

後ろは茶箪笥

前は迫り来るちゃぶ台

 

 

食べ残した食材を見事に頭から被る羽目になる

 

 

マヨネーズをかけたキャベツの千切りが

一番記憶に色濃く残っている

 

あれネッチョネチョになるんだよなぁ・・・

 

 

そんな厳しかった母も

私が高校生になった頃から

今の間の抜けた母に変化していった

 

母曰く

「子育てがひと段落したから

 あたしも自分の人生を歩く」

という事

 

ずっと気を張って

たくさんの事を我慢しながら生きていたんでしょうね

 

きっと元来母は

今のような性格の持ち主だったのでしょう

 

よくもまぁあんなに厳しくて怖い母を長年演じ続けて

ボロを出さずにいられたものである

 

 

 

しかし母は

私がどんなに成長しようと

仕事に対してだけはいつだって厳しいままだ

 

私が寿司屋を退職した時も

「すぐに次の仕事探しなさい!

 働かざる者食うべからずだよ!」

 

私がガラス工房を退職した時も

「すぐに次の仕事を探しなさい!

 働かざる者食うべからずだよ!」

 

 

全く以ってごもっともである

 

 

・・・が

今現在母は

私に一切そういった事を言わない

 

 

私「そろそろレジン商品の

  販売をしようかなって思ってるんだけど

  郵便ポストが近場に無いから

  郵便局まで行くのが面倒でさ

  何か良い方法無いだろうかねぇ」

 

母「まだゆっくりしてれば良いんじゃない?」

 

 

えっ・・・?

 

 

私「いや・・・

  そろそろ仕事探しもしようかと思って・・・」

 

母「まだ有給休暇使ってるんでしょ?

  9月中旬までって言ってなかった?」

 

私「まぁそうなんだけど

  それでも良いって言ってくれる所は

  あると思うし」

 

母「たまにはゆっくりすれば良いじゃない」

 

 

な・・・なんて?

 

 

私「え?なんで?

  前まであんなに

  「働かざる者食うべからず」

  って言って仕事探せ仕事探せって

  ケツ叩いてきてたのに・・・」

 

母「長い間一生懸命頑張ってたんだから

  たまにはゆっくり休んでも良いじゃない

  お金には困ってないんでしょ?」

 

 

それは・・・そうなんだけど・・・

 

 

えっでも今まであんなに仕事に関して厳しかった人が

いきなりそんな風に優しい事言うとか

ちょっと気持ち悪いって言うかね・・・!?

 

一生懸命頑張ってきたとか言うけど

正直寿司屋やガラス工房の方が

圧倒的にハードでしんどい仕事でしたよ!?

 

むしろあの時そういう風に声を掛けて貰えた方が

私的には涙がちょちょ切れる程嬉しかったと思うんですが!?

 

 

まぁ

どんなにケツ叩かれても

あの時も充分ゆっくりしつつ

資格取得とかして遊んでましたけど・・・

 

 

私「そ・・・そう・・・かなぁ・・・」

 

母「やりたい事ゆっくりやりながら

  9月になってから仕事探せば良いじゃない」

 

 

そう・・・ですかね・・・?

 

 

何だろう

この妙な優しさは・・・

 

 

 

 

昔怖かった威厳ある母は

今でも『優しい』というだけで

むしろ逆に私に恐怖心を芽生えさせる存在である

 

そう

 

恐怖心だ・・・!

 

なんか凄い怖い!!! 

 

「さっさと仕事探せ!」とケツを叩かれるより

よほどプレッシャーを感じるのは何故なんだ・・・!

 

 

この日

自宅へ帰った私は

 

 

早速ネットで求人広告に目を通し始めた

 

 

し・・・仕事探そ・・・!!!