猫様の為ならば
私の実家には
現在
猫が4匹も居る
猫好きには堪らん状態だ
4匹の猫を拾った経緯は
まず最初に母猫が
実家によく訪れるようになり
餌を与えている訳でもないのに
家の玄関前で日向ぼっこをするようになった
その時
私や母や父は
猫を飼おうなんて思っていなかった
実は
私が17歳の時に拾って来て
17年飼い続けていた猫
『タマ』様を亡くして間もなかったのだ
タマ様は拾ってきた頃から室内飼いだったせいか
ストレスに弱い猫で
ちょっとした物音にも
敏感に反応して怯える子だった
私が実家を出た後
両親が一緒に暮らしていた人が立てる
大きな物音に怯え
円形脱毛症が出来
そのしばらく後に
両親が引っ越し
タマ様は大層ストレスを抱えていた事だろう
そんな折
実家のすぐ目の前の道路で
大掛かりな道路工事が始まった
誰も居ない家の中で
道路工事の振動と騒音は
老体には堪えた事だろう
あっと言う間に体調を崩し
食欲がなくなって行った
私の家へ連れて行こうと思った事もあったけれど
車での移動を嫌がる猫だったし
また引っ越しというのも
更にストレスを与えるだろうと思い
私は毎日実家へ通い
必死に介護を続けていた
タマ様を介護する日々はなかなかどうして辛く
日々衰弱していく姿を見るのは
胸が張り裂けそうなものだった
そうしてタマ様を失った私達は
全員大号泣
亡骸をしばらく焼く事が出来ず
冷たくなってしまった亡骸を
涙を溢しながら撫で続けていた
それから1年近く経過していたけれど
また猫を飼うなんて
そんな恐ろしい事考えられなかった
実家によく立ち寄るようになった母猫を見つめ
誰もが皆
「餌を与えるのは駄目だ」
と思った
餌を与えて
家の中に招き入れてしまったら
数年後にはまたタマ様の時のような
悲しみと苦しみを味わう事になる
私達
もうあんな悲しみには耐えられません・・・!!!
しかし
それから数か月後
母猫が
4匹の子猫を産み落とし
最初は実家の裏にある
小屋の前から動かなかったのに
ジワリジワリと
実家との距離を詰めてきた
4匹の子猫達を誘導するように
一日10センチくらいずつ
実家の敷地に近付いた位置で日向ぼっこをする
そしてある日
とうとう開いている窓から
家の中へ侵入
そして母が
4匹の子猫可愛さに
ミルクを与えてしまった
その報告を受けて
私は両親に問うた
私「餌を与えたって事は
それ相応の覚悟が出来てるんだろうな!?
最期まで面倒見るんだろうな!?」
母は
覚悟は無いくせに
「子猫可愛いんだもん」の一点張り
タマ様とのお昼寝が日課だった父は
「もう猫は駄目だ・・・
やめよう・・・」と低い声
なので
私が覚悟を決めた
私「適齢になったら捕獲して
去勢手術を受けさせます!
手術代は私が出します!
餌代もカンパしますから
砂とかその他の物は
そっちで用意して下さい!」
こうして
4匹の子猫達を受け入れた私達
4匹の子猫達は
恐ろしく聡明だった
まず
トイレの砂を買って来て
トイレケースに砂を入れた数分後
4匹の兄妹の長男が
そのケースに排泄した
まだ何も教えていないのに
そんな行動を取った事に驚いたけれど
それだけじゃなかった
その長男は
他の兄妹たちを誘導するように
トイレの位置へ連れて行き
4匹全てが
ただの一度も
トイレ以外の場所で排泄をしなかった
そして子猫達は
私達に爪を立てる事も無かった
噛む事も無い
私達が床に寝転がっていても
その上を踏んで歩く事も無い
1匹だけ
いつまで経っても懐かない子が居たけれど
それ以外の子は
毎日おもちゃで遊んでいる内に
触らせてくれるようになり
抱っこもさせてくれる
お腹も触らせてくれる
2匹はお風呂も嫌がらない
何なら長男は今現在
外遊びから帰って来たらまず最初に
台所へ歩いて行き
シンクの中に入り
「んなぁー」と鳴いて
足を洗う事を要求してくる
天才か
猫達はすくすく育って行き
今では
「抱っこしてー!」
「撫でてー!」
「眠いから一緒に寝よー!」
という要求をしてくる
私は神様なんて
信じちゃいなかった
いなかったけれど
この4匹の猫達は
神様からの贈り物なんじゃないかと思っている
この4匹の猫達が現れてから
私達家族の心がどれだけ癒された事か
きっとタマ様を失って
実家から足が遠のいた私や
悲しみに明け暮れ
タマ様の写真を大きく引き伸ばして貼り
それを眺めては涙ぐむ私達の為に
神様が遣わせてくれたんじゃないかと思う
いや
多分母猫が賢かっただけなんだろうけどな!
「あ、この家の人は
猫嫌いじゃない雰囲気だ
もしかしたら子供を産んでも
この家の人なら貰ってくれるかも」
と判断したんでしょう
正解だよ・・・!
いやいや言ってても
何だかんだすぐに溺愛ですわ!
ちなみに
これまで何度も猫を飼ってきた
ルカ家なんだけれども
今飼っている4匹ほど
触らせてくれる猫は初めて
我が家へやって来てくれて
私達家族は全員
心から感謝している
タマ様の時は
猫アレルギーの男友達が
「捨て猫見付けたんだよ!
でも近付けない!
助けようとして近付いたけど
目が腫れてきた!
バイクで迎えに行くから助けてやって!」
と連絡をよこし
バイクに乗って現場へ行くと
水が流れていない下水の下に
箱に入れられて
まだ目も開いていない衰弱した子猫が
必死に鳴いていた
友達が下水の蓋を持ち上げている間に
用意していたタオルで子猫をくるみ
バイクになんて乗ったら
潰れてしまうからと言って
たっかいヒールの厚底靴を履いて
猫を優しく抱えたままの姿勢で
真夏に帽子もかぶらず
徒歩2時間歩いて家に帰った
ちょっと待って
こんなに遠いなんて聞いてない・・・!
飲み物を買いに店に入る事も出来ない
公共の交通機関も
猫を抱えているから利用出来ない
休憩したいけれども
どうせ飲み物も飲めないのなら
一刻も早く家へ帰りたい
遠回りの平坦な道のりか
近道だけど超坂道がある道のりかの
選択を迫られた瞬間は
一生に一度あるかないか
ってくらい真剣に悩むレベルだった
どっちを選んでも
衰弱した子猫よりも
まず先に私が死ぬんじゃねぇかと思った
翌日から
学校をさぼってお昼で家へ帰り
猫にミルクを与えて
目を綺麗に拭いて
段ボールの中を綺麗に掃除して
バイトへ行くまで介護し
バイトから帰ったら
またミルクをあげて!
という生活がスタートした
そして
こうなった
こうして
私が学校へ行っている
僅か4時間程の間に
突如元気になったタマ様は
亡くなるまでの17年間
育ての親である私を
最も獲物扱いして
何度も何度も出血を伴う怪我をさせてきた
触られるのを嫌がるので
爪を切る事も出来ない
背中を見せると
後ろから飛びつかれる
触ると
本気で引っ掻いて離さない
そのまま本気で噛みつく
そして逃げていく
ちょっとぉおお!!!
命懸けで命を救った私に対して
なんなのよその態度ぉお!!?
それでも
それがまた堪らなく可愛かったし
いまだに
あのタマ様の強烈な攻撃が
ふと恋しくなる私は
正真正銘
ネコ馬鹿です・・・!!!